MB13が摂取したもの

読んだもの、見たもの、食べたものなど、外から取り入れたもの全般についての感想を書いておくチラシの裏

『桜蘭』 井上靖

楼蘭 (新潮文庫)

楼蘭 (新潮文庫)

いわゆる西域物の短編が詰まった本。最後のほうには少しだけ日本の話も混じっている。表題となっている「桜蘭」は、匈奴と漢との間にあり、両者の間で歴史に翻弄されながら、何とか生き抜いていく小国の苦悩を淡々とした筆致で記した物語である。

井上靖が西域を題材にした作品で有名であるということは知っていたが、読んだことがなかったので、まぁ気分転換に読んでみることにした。桜蘭については、淡々と事実を連ねるようなドライな語り口でありながら、想像力を掻き立てるような内容となっている。調べた所、有名な中央アジアの探検家ヘディンの『さまよえる湖』から影響を受けているのではないか、と書かれたウェブサイトが見つかったが、そういうとこともあるのかもしれない。ちなみにこの<さまよえる湖>は桜蘭がその湖畔に居を構えていた、ロブ湖である。

さまよえる湖 (角川文庫)

さまよえる湖 (角川文庫)

しかしその他の作品は「羅刹女国」などの伝奇小説にお決まりの桃源郷物を思わせる作品が入っていたり、昔話、おとぎ話というような雰囲気が強い作品が入っているので、全体としてそこまで硬い内容の本というわけではなかった。

 

西域物作品に興味があって手にとったこの本だったが、わずかとはいえ宗教を学んできた者にとって、日本の熊野周辺の補陀洛信仰をテーマにした「補陀落渡海記」には衝撃を受けた。

 

仏教にたまに見受けられる、静かでありながら積極的に現世の命を投げ打つ姿勢は、巷で言われているような「自爆テロ」の狂気よりも、私には恐ろしいものであるように思われてならない。自爆テロは、宗教が来世を保証してくれているにしても、結局は現世の(政治・宗教的)問題を解決するための手段であり、人道性、効率性の面はともかく、目的のはっきりとした行為である。その一方で補陀落渡海は、誰もが辿り着けもしないと分かっている島に向かって舟で向かうという名目で、密閉された木の箱の中に入り、舟に打ち付けられて、海へと流される。その結果補陀洛へと生きたままたどり着く事など不可能であることは、常識的に分かっているし、それが地元の人々の政治や信仰に与える影響など未知数である。にも関わらず、自ら命をなげうって、船に乗る。

 

どうしたらこういう気持ちになれるのだろうか、いろいろな背景があるのだろうが、今の僕からは、単に怖いという小学生並の感想が湧いてくるのみだ。