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『キリスト教神学入門』 A・E・マクグラス 第一部第三章

キリスト教神学入門

キリスト教神学入門

第三章 宗教改革とそれ以後の時代

 キリスト教神学史の内容も、ついに宗教改革の部分に到達。ルター派、改革派、アナバプティスト、カトリックの内部において、この時期にどのような変遷があったのかという事が概観されている。(p.p.95~129)

第三章についての問題と自分の解答

  1. 宗教改革とは、どういう意味か
     ルネサンスの影響を受けて1500年ごろから1750年ごろに 西ヨーロッパで起こった、道徳的、神学的、組織的改革運動のこと。主として当時の混乱していた神学的状況を改革し、聖書の基礎にまで引き戻そうとしたが、多くの要素の絡み合った複雑な出来事であり、教派や地域によっても取り上げられた問題は異なっていた。広義ではルター派、改革派教会、アナバプティスト、そしてカトリックという四つの教派による改革運動、もしくはカトリックを除く三つの教派による改革運動のことを指す。さらに、多くの学術書で言われる「俗権提携型の宗教改革」「宗教改革主流派」とは、上記三つの教派による改革運動から急進派(アナバプティスト)を除いたものであり、教会は俗権にある程度までは従うべきであると考えた、ルター派と改革派の教会を指す。
     
  2. 信仰のみによる義認の教理と特に関わりの深い改革者は誰か
     「新しい道」の義認論が持つペラギウス的性質に不満を持ち、これを重要な問題として取り上げていたのは、マルティン・ルターである。彼は福音が制度的教会の虜になってしまっていると主張し、『キリスト者の自由』で信仰義認の問題について論じた。しかし他の宗教改革においては、ルターの成果を尊重しつつも、そこまで義認の問題を重要であると捉えることは無かった。

  3. 宗教改革の起源と展開にとって、人文主義は、どのように重要であったか。
     中世ではラテン語訳聖書であるヴルガータと、その注釈に基づく神学が主流であったが、人文主義運動によって「原典に帰れ」という主張がなされることでギリシャ語聖書の研究が進み、聖書本文のよりよい理解に基づく神学の改革への道が開かれた。これにより、ルターやカルヴァンの聖書的神学が誕生する素地が築かれた。

  4. どうして改革者たちは、協会の既存の教理の改定を、あれほど強調したのか。
     当時はカトリック教会内において腐敗と権力濫用が横行し、教理的にも混乱をきたしていた。また、聖書研究が進むにつれてスコラ哲学において証明された教理の幾つかも欠点を抱えていることが明らかとなってきた。そのため改革者たちは、これらをより聖書的伝統に近づけさせるためには改革が必要であるとの主張を行った。
     
  5. (ア)信条主義と(イ)敬虔主義との発達を促した要因は何か。
     (「信条主義」という言葉は本文中に登場しなかったし、調べても良く分からなかったので、どう答えたらよいのか分からない。したがって、「宗教改革主流はなぜ信条を重視したのか」という意味であると推測し、答える)

    (ア) 宗教改革を進める中で「ツヴィングリは『聖書のみ』という原則に忠実であると公言しながら、多くの古い習慣をそのままにしている」と主張するコンラート・グレーベルらのアナバプティスト(宗教改革急進派)が現れるようになった。彼らは幼児洗礼や、教会と政治との繋がりは聖書に明記されていないとしてこれに反対し、聖書に記されている事がはっきりとしている事だけを信じ、行うべきであるとした。ツヴィングリらはこのような主張が、キリストの教えを正確に理解していたと考えられる古代教会から改革派教会を切り離してしまい、その連続性を失わせるものであると考えた。そして、彼らの個人主義的な動きをけん制する目的も兼ねて、聖書に次ぐ二次的な権威として、古代教会における合意を示したものであるキリスト教の信条を重視した。

    (イ) 宗教改革が一段落しドイツ国内においてこれ以上の地域的な拡大が見込めなくなると、各教派は他教派に対し自分たちの信仰を説明し、擁護する必要に迫られた。この結果、教理研究が盛んに行われるようになり、宗教改革主流派では改革は正統主義と呼ばれる、信仰の合理性と教理の基準や定義を強調するような傾向が現れだした。キリスト教の真理主張を合理的に擁護することと教理的な正しさに関心を持つことは良かったのだが、この結果、この時期は学問が論理的な精密さへと過剰に集中することとなり、教理的な事柄を日常生活と関連付けるという問題は、むしろ軽んじられる傾向があった。その結果、シュペーナーは『敬虔なる願望』を著し、三十年戦争(1618-48年)で荒廃したドイツルター派を再活性化させるための方策として、個人での聖書研究を新たに強調した。このような提言は神学者からは嫌われたが、ドイツの教会の内部では徐々に広まり、影響力を持つようになった。その後、敬虔主義はドイツとイングランドにおいて実にさまざまな方向へと展開し、ドイツにおいてはロマン主義の基礎を据えたとも言われている。
     
  6. どうして、トレント公会議以降のローマ・カトリック教会の神学者は、古代教会との連続性を、あれほど強調したのか。
     ローマ・カトリック教会プロテスタント側からの批判に答えるべく宗教改革を進める過程で、自分たちこそが古代教会との連続性を有するという事に確信を持つようになってきた。その結果、古代教会の伝統から逸脱しているプロテスタント側こそが異端であるという主張を持つようになった。