MB13が摂取したもの

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井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』

生き残った帝国ビザンティン (講談社学術文庫 1866)

生き残った帝国ビザンティン (講談社学術文庫 1866)

ビザンティン史に興味があったので、評価の高かったこちらを購入。
「1000年の歴史を新書で」という要求に応えて書かれたものらしく、おおまかな歴史はざっくりと理解することが出来た。扱っている年代が広く、もともとは新書であるから文量も大したものではないので、細かなところまでは扱われていない。

この本の主張では、一言で言えば、ビザンティン人は「本音と建前の使い分けが上手かった」故に1000年間も帝国*1を維持することが出来たのだということだった。ローマという建前の元に国家をまとめあげているが、ローマ的なものが現実にそぐわないと見れば捨ててゆく。こうした柔軟さを併せ持っていたところに、ビザンティンの強さがあったというわけだ。

ただしキリスト教についての見方には、やや疑問も残った。特に井上氏が異端の定義として掲げた「異端とは聖書に忠実な人々のことである」というのは、前の本音と建前の話と合わせて聞くと、誤解の残る表現であろう。まるでローマ法と同じく「自分たちに都合のいい解釈に合わせたいという本音に合わせて、キリスト教という建前を曲げた」と言わんばかりだからだ。

よく知られている通り聖書にはひとつの文章でも複数の意味に取ることが出来るような文言が含まれているが、そのような部分での解釈の違いが積み重なって大きな立場の違いを生じた場合に、それらを「どのように解釈するのが正しい読み方か」決定するのが初代教会から受け継がれてきた「伝統」であり、その「伝統」を知る者たちで行われるのが公会議である。したがって異端も正統も、どちらも聖書に依った議論をしているのだが、その中で聖書の文言を「文字通りの意味として解釈する」という意味で<忠実>だったのが異端であり、「それをどのように解釈すべきか」というろころまで含めて聖書とみなし、それに<忠実>であったのが正統である。

したがって両者とも、レベルは違えど<聖書>には忠実であるのだから、このような一般向け文庫本で何の前置きもなくサラリと言ってしまって良いような定義ではないはずだ。

*1:最後の頃は都市国家と化しているが